クラシック音楽を中心に、趣味として色んなジャンルの音楽を聴いて来た後期高齢者です。
音楽は、聴くことが好きなだけで、何か特別な知識があるわけではありません。以下の記述には記憶違いによる内容もあると思う。気付いた時点で修正して行く予定です。
(1)昭和30年代(1955~1964) 10代で聴いて来た音楽
- 歌謡曲全盛時代、ラジオで「三橋美智也」を中心に、春日八郎、美空ひばり、島倉千代子、フランク永井、石原裕次郎、その他大勢の歌手の曲を聴いて来た。
- S盤アワー、L盤アワーという「洋楽(アメリカやヨーロッパの音楽)」のラジオ番組で、ヒット曲のオンパレードを聴くことができた。特に「カントリー音楽」が好きだった。
- プレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パット・ブーン、ナット・キング・コール、フランク・シナトラ、ドリス・デイ、コニーフランシス、ブレンダ・リー、・・・・・・
- この時代に、映画音楽・ジャズ・カントリー・マンボ・タンゴ・シャンソン・ハワイアンミュージック等、ポピュラーミュージックの名旋律が全て出そろった。
- マントバーニ等のムードミュージック(上記音楽)を奏する楽団が多く結成され、個性的な演奏スタイルで数多くの曲をヒットさせた。これらの洋楽も良く聴いてきた。
- 日本の若手歌手が、外国のポップスを英語と日本語の「ちゃんぽん」で歌うのが流行った。伊東ゆかり、中尾ミエ、九重佑三子、森山加代子、弘田三枝子、坂本九・・・
- この時代の洋楽ポップスミュージックは、「オールディーズ」や「昭和の洋楽グラフティ」といったBOX CDが発売されており、現在でも聴くことが出来る。
- 1960年頃からクラシック音楽を聴き始める~よく知っていた弟の影響が大きい。
- クラシック音楽の入門時は、当時流行したソノシート(雑誌に添付されたプラスチックフィルムのレコード)で、小品を集めた「名曲集」なるもので曲を覚えていった。
- LPレコードは高価なため、お金が貯まったら1枚づつ購入していった。段々と本格的に聴くようになり、レコード盤は大事に扱い、何回も繰り返し聴いた。
- クラシック音楽のレコードは、売れるものしかレコード店に置いていないので、どれを買っても名曲で名演奏の誉れ高いものばかりなので買って失敗することは無かった。
- そのうちに、好きな指揮者、演奏者(管弦楽団)の好みが分かってきて、楽曲のレパートリーを広げていった。主に、録音が優秀な「英デッカ」のレコードを購入した。
- その後、「レコード」や「参考書籍」の購入、「コンサート」に行くなどして「クラシック音楽」の知識を蓄積し、高めていった。
(2)昭和40年代(1965~1971) 20代で聴いて来た音楽
- この時代から、「クラシック音楽」を挑戦者の気持ちで、積極的に聴くようになった。趣味「音楽」といった友人との付き合いも増えた。
- 1967頃年に知人から、ピアニスト木村かをり(パリ音楽院を卒業し、メシアンコンクールに入賞)の凱旋コンサートに誘われた。恩師の安川加寿子先生の祝福を受ける。
木村かをりは、まだ初々しさが残っていた。ずっと後になり指揮者の岩城宏之の奥さんになっていたことが分かり、びっくりしたと共に、素晴らしいご両人でうれしく思った。この時、初めて経験したコンサートの演目が初めて聞く名前の、作曲家「メシアン」の作品だった。初心者の私には難しすぎて音楽が理解できなかった。 - 1970年に、定年まで勤務することになった家電メーカーに入社し、家電製品の設計・開発に従事した。この仕事を選んだのが運の尽きで、仕事人間になってしまった。
敢えて仕事のことを書いたのは、高度経済成長期の真っ直中にあり「商品を作れば売れる」の時代で、他社との販売競争も激化し、新しい製品開発が至上命令だった。
そのため、他社よりも「良い商品」を、「廉価」に、「早く」市場に出す必要があり、これには時間を稼いで開発日程を短縮するしかなく、長時間残業、休日返上の対応を余儀なくされた。
仕事優先で、音楽を聴くどころではないという生活が続き、また疲労のため、1週間寝込んでしまうといった不調が毎年恒例のごとく繰り返した。 - 仕事が多忙になるに連れ、クラシック、その他の音楽を聴く時間が段々無くなってきた。それでも、通勤時間帯(車で片道25分程)で時々CD1枚分が聴けることが救いだった。
- この時代になると、歌謡曲は、演歌、フォーク、ニューミュージック、Jポップ、青春ソング、アニメソングなどがジャンル別に分かれていき、それぞれが独自で発展していった。
そのため、歌謡曲の時代は大人から子供まで同じ曲を聴いていたが、この頃から年齢によって、だんだんと音楽を聴く対象が分かれていった。 - フォークソングからニューミュージック、ロック等の若者の音楽が盛んとなり、これらは Jポップというカテゴリーに集約されていった。
- 1960年頃から、1970年頃までの日本の音楽は、ポップスが主役と言ってもよく、おもしろい時代だった。あとで、「音楽いろいろ大好き」のところで詳しく書いてみたい。
(3)昭和50年代~昭和63年(1972~1988) 30代~40代半ばまで聴いて来た音楽
- 昭和時代の最後の括りで大雑把になるが、音楽は毎年何回かはコンサートに行ったと思うが、内容はあまり記憶にない(仕事を取りまとめる立場になり、更に多忙となり
精神状態も最悪の時期が続く)。 - 千枚?を超えるLPレコードを処分し(売却や友人に差し上げた)、コレクションはCDに移行した。ただし、初期のCDは、新譜が¥3,000前後と高価で、簡単には手が出ない。
- CDが普及してくると、価格も下がり¥1,000盤をレコード各社が競って発売するようになった。この辺からCDの購入枚数が増えていった。
- また、未使用CDが定価の3割で買える大バーゲンセールが毎年1回大きな会場で開催され、この日までに貯蓄したお金をつぎ込んで手当たり次第に買い込んだ(数年続いて終わった)。
- Jポップが盛んになり、テレビ時代に合った歌手が主役となった。キャンディーズ、ピンクレディ、山口百恵、松田聖子・・・、歌って、踊って、ジェスチャーを伴う歌が流行。
- 一方で、フォークの流れでは吉田拓郎、井上陽水、松山千春、中島みゆきも健在。はっぴーえんど、荒井由実などのニューミュージック系の台頭があった。
(4)平成元年~令和2年(1989~2020) 40代半ば以降に聴いて来た音楽
- この時代、20年間はさらに大雑把な記述となる。この間に、定年退職というエポック・メーキングがあった。仕事は変わっても会社勤めは令和2年3月まで続けた。
- クラシックギターの音楽も好んで聴いて来た。2016年頃にはクラシックギターを購入し、その後ギターバンドに参加し、現在まで(4年間)続けている。
- クラシック音楽に関しては、これまで手当たり次第にかなりの作品を聴いて来たが、集中して聴いたわけではなく、振り返ってみて何を中心に聴いて来たか思い出せない。音楽雑誌「レコード芸術」は熟読していないとはいえ毎月購入しており、クラシック音楽との接点は維持されている。ここではこれ以上記述しないが、別項の「クラシッ
ク音楽大好き」のところで書いてみたいと思う。 - 2008年から約10年間、NHK-FM放送(クラシック音楽、他)のエアーチェックを毎日行い、普段聴く機会が少ない「純邦楽」を積極的に収録し、この分野での知識を得ることが
出来た。常磐津、清元、新内、宮園節、河東節、義太夫などの浄瑠璃や、地歌、長唄、端唄、小唄などの唄もの、雅楽、謡曲、更には琵琶、筝曲、三味線、民謡等、多岐に渡る。
- 個性的なアイドル歌手が多く輩出され、J-POPが隆盛を極める。「レゲエ」、「ヒップポップ」が流行り、音楽は若者中心の文化を呈してきた。
- サザン、ミスチル、ドリカム、チャゲアスなどのグループが活躍。モーニング娘。、いきものがかり、EXIL、モモクロ、AKB48とその流れから乃木坂46など坂道ブームが続く。
- 星野源、米津玄師などの新人が出現。これらの音楽は、私には何か歌謡曲を思わせる。ブームが続いているアニソンも、その音楽は歌謡曲からの流れを感じる。
以上、「プロフィール」というよりは、備忘録になってしまった。しかも、書き足らずの内容で、時系列の流れも悪く、説明が不十分。後で再度見
直し修正したいと思う。が、たぶんこのままになってしまうだろう。→「音楽いろいろ大好き」の中で、補完することを予定している。
(追記)青春時代に、友人の影響でモダンジャズを聴くようになり、銀座、新宿のジャズ喫茶を徘徊していた。レコードでは、マイルス・デイヴィス、
ソニー・ロリンズ、ビル・エヴァンス・・・セロニアス・モンクあたりまでよく聴いた。その後、ゴスペルやジャズ黎明期からフュージョン
まで聴く範囲を拡大していった(別記「ジャズも大好き」)。
また、1999年 宇多田ヒカルの登場は、R&B、ソウル系の音楽を聴き直すキッカケになったこと、更には
好きな演歌も同時に聴いて来たことなど、その他多くを書き忘れているので別のところで述べる予定。
2003年には、友人から「取手第九合唱団」に誘われ入団し、友人6名で、毎年2月の「国技館5000人の第九」(全国から集まった合唱団員
5000人と観客5000人による)イベントに参加するようになり、これを毎年「練習」「本番」を数年間続けて実施した。その後、友人達が仕事
の関係でそれぞれ離ればなれとなり、更にリーダー格の人が不幸に逢う等により、我々のサークルは10年後には自然消滅となった。
この期間は、クラシック音楽の感動をより高めることが出来て有意義な経験だった。