コンサートで出会った演奏家たち
(6) 熊本マリ ピアノコンサート ・他 1970~1980年
1. 熊本マリ 利根川進 博士スペシャル講義 第2部出演 1988年3月24日
・1987年にノーベル賞を受賞した利根川進博士による「ブレインサイエンス最先端~脳神経再生の謎」の講演会が開催され、
その第2部に熊本マリが利根川氏と「脳と音楽~論理と感性のハーモニー」のタイトルで対談を行った。
・この出会いは、コンサートではないが、知人から招待券を頂いて講演会に行ったものと思う。なにせ年数が経ってしまったため、
この時、すでに熊本マリを知っていたのかどうか、知っていたとすればコンサートに行ったかどうかなどはまったく記憶にない。
このときの講義録を見つけなければ、ここに載せることはなかった。



時間あるときに読み直してみたい ―――→ スペシャル’98講義録 ゲスト熊本マリ(pdf) ⇦
2.熊本マリ 作曲家ウィリアム・ギロックの生誕100年記念ミニコンサート 2017年9月17日
・銀座山野楽器が企画した「ギロック生誕100」記念ミニコンサートの招待券を貰ったので行ってきた。さすがに5年前のことなので記憶している。
場所も山野楽器ビル7階(定員100名)でおこなわれた。当日はプロジェクトに参加されているピアニストの“熊本マリ“、”三舩優子“、”小原孝“の
3人による共演となった。
・人気のある有名な3人であるが、このコーナーでは、”熊本マリ“を代表して取り上げた。
”小原孝“さんは、この(6)熊本マリ のあとで、(7)小原孝 のコーナーで取り上げる。
”三舩優子“は、幼少時、ニューヨークに住んでいたので“ギロック”のことは誰よりも早く知っていた。(8)三舩優子のコーナーで取り上げる。
・この「ギロック」の記念CDは、レコード会社3社による競作となっていて、各会社を代表するピアニストが演奏し、独自にCD化するというもので、
3社による「ギロック生誕100年プロジェクト」が企画された。シナジー効果でCDの売り上げアップを狙っている。
このプロジェクトによって、日本では馴染みの薄い「ギロック」の知名度が高まった。
・熊本マリが、”ギロック”との出会いを語っています。
私は、いま大学で教えていますが、学生たちがギロックの作品を良く弾くんです。これまで自分では弾いたことが無かったのですが、こんな美しい曲があるんだなアと思いました。
自分で演奏してみて、改めて感じたのは、なんといってもギロックの旋律の美しさです。演奏するのはやさしいのに音楽が深い。
テクニックではなく、音楽性が磨かれるように書かれています。作品は、どれも短く、子どもに教えていると、飽きさせずに満足感を与えることができます。
いつか、ギロックだけのコンサートをやってみたい。大人も子どもも楽しめると思います。
【私が、ギロックを知ったのは、5年前】
・2017年に、「ヤマハ音楽教室」を開講している「セイワ楽器」でパートタイマーをしていた時に、「音楽教室」で生徒が弾いていた初めて聴く
ピアノのメロディーが気になっていた。
クラシック音楽の小品はかなり知っているつもりだが、ピアノレッスンで弾く子どもたちに人気のあるジブリの音楽・アニメソングに関しては
一部を除き殆ど知らない。知ろうとしてこなかったためです。
前記の気になっていた曲は、アメリカの作曲家で“ギロック”という人が作曲したものだと分かった。作曲家の名前もかなり知っていたが、
“ギロック”は初めて聴く名前だった。
因みに、私が所有している「クラシック音楽作品名辞典1996.12.5<改訂版>」1300頁、作曲家1240人、作品数は約43900点が記載されている
「三省堂」が発行している有名な辞書だが、ここには“ギロック”の名前は載っていない。
この辞書に載っている一番新しい作曲家は、1960年生まれの“G.ベンジャミン”だった。“ギロック”が生まれたのが1917年なので、
この作曲家よりも43年前に生まれている。今では、“ベンジャミン”よりも知名度の点で圧倒的に有利なのだが、小品しか作品がなかったためなのか。
ピアノレッスンで初心者が弾く「花の歌」1曲で有名な作曲家“ランゲ”はこの辞書に載っていた。
“ギロック”は次の改訂版では搭載されるものと思う。
・なお、上記教室でピアノまたはエレクトーンの生徒が練習していた”ギロック”の曲目の一例を記しておく。
「パリの花売り少女」「手品師」「おもちゃのアヒル」「漂う雲」「海辺の歩道」「おもちゃのダンス」「インディアンの戦いのうた」
「フランス人形」「インディアンの踊り」「スペインのジプシーたち」「ガラスのくつ」「ソナチネ第1番」・他
【コンサートの資料等】 ・下記サインは、1枚の大判色紙に3人が登載されていたものを分けてみた。






右は、会場で購入した”ウィリアム・ギロック”の解説本
【コンサート会場で購入したCD】

熊 本 マ リ(1964年10月15日生)
【プロフィール】
東京に生まれる。5歳からピアノに親しみ、10歳で家族と共にスペインへ移り住む。
1975年よりスペイン王立マドリード音楽院でホアキン・ソリアノ氏に師事。スペイン青少年音楽コンクール優勝。
1982年に奨学金を受けてジュリアード音楽院に入学し、サーシャ・ゴロニツキー氏に師事。
1985年から英国王立音楽院にてC・エルトン氏に師事。
また、プライベートではアンジー・エステルハージー氏に師事。
英国ニューポート国際音楽コンクールに入賞。故ダイアナ妃より授与される。
1986年、同音楽院卒業後、最年少でRecital-Diplomaを授与され、帰国。
1991年、スペインの作曲家フェデリコ・モンポウ(1893〜1987)のピアノ曲全集の録音を完成(世界初)。
1993年、モンポウの伝記「ひそやかな音楽」を翻訳。
同年、英国王立音楽院よりめざましい演奏活動に功績のあった卒業生にのみ与えられる資格ARAMを贈られる。
1994年、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とジルベスターコンサートで共演。
1996年、スペインでのジャパン・ウィークでリサイタルを開く。
1998年、プラハでリサイタルを開催、及びヨセフ・スーク&スーク室内オーケストラと共演。
1995年〜2006年には毎年秋にローム・リリック・セレクションとして全国ツアーを重ね、好評を博した。
2000年、NHK教育テレビ「芸術劇場」の「BSクラシック ピックアップ」の司会を務めた。
2006年、ウィーン・フィルのメンバーと共演。
2009年、“クラシック音楽をもっと身近に楽しんでもらう”というコンセプトに賛同し、「100万人のクラシック」コンサート・シリーズに参加。
東京都内近郊18箇所、続いて長野県内6箇所にて「Shall We Dance?」ツアーを開催。
2011年には、同コンセプトの「いこか!クラシック」シリーズ関西地方全16公演に出演し、各地で好評を博した。
2010年1月には、エジプトにてカイロ・オペラ・オーケストラと共演、アレクサンドリア(エジプト)、アンマン(ヨルダン)ではリサイタル
を開催。軽快なトークをまじえた独自のコンサートは特に人気が高く、その活躍は日本国内にとどまらない。
2012年には、ベネズエラ、カラカスで、ベネズエラ交響楽団と共演する。
エッセイ集はショパン社より「薔薇よ、語って」「音よ、輝け」「ラ・ピアニスタ〜太陽の門から」、
講談社からは「人生を幸福にしてくれるピアノの話」が発売されている。CDはキングレコードより多数リリース、
2006年、モンポウの作品集「静かな音楽」、2009年にはダンスをテーマにした「Shall We Dance?」、
2011年にはショパン・イヤーからリスト・イヤーへの懸け橋として“愛のメッセージ”をテーマにした「鳥の歌」を発売。
2012年2月には、日本各地の民謡をピアノで奏でる「日本の心、日本のメロディー〜奥村一作品集」を日本コロムビア(DENON)よりリリース。
2008年4月より大阪芸術大学(演奏学科)教授に就任。
2013年9月には、アルゼンチン ブエノスアイレスでリサイタルを行う。また、エステバンモルガドカルテットと共演を果たす。
2016年にはデビュー30周年を迎え、
2017年には、キングレコードからサティとギロックのCD、
2018年には「お昼寝クラシック」をリリース。
2019年には、ウィーン サロン オーケストラと共演する。
2021年元旦には、「皇室の窓スペシャル」に出演し、皇后陛下雅子様とのエピソードを語る。
近年は、国際ピアノコンクールの審査員なども務め、テレビ、ラジオの出演、執筆活動など多才な活動で幅広いファンを獲得している。
神奈川県のマグカル大使。
【読んだ単行本】
①1997年頃 購入


②1991年頃 購入




【想い出のCD】
①1998年頃 購入 ②1995年頃 購入


★こうしてみると、熊本マリが20歳代後半の元気な時の出会いであったが、聴くきっかけとなった経緯は定かではない。
ピアノ曲としては馴染みのなかったスペインの音楽を演奏していたこと、それにより作曲家”モンポウ”を知ったことなどが記憶にある。
★スペイン音楽に興味をもったのは、クラシックギターの音楽を聴いていたこともあるが、いつだったか思い出さない。
昔、スペインの名ピアニスト”ラローチャ”が演奏しているテレビ番組(カラーではなかった)を見て、
音楽がキラキラとしていて、指先が滑らかで、今迄のピアニストになかった、なにかすごい演奏をやっている
といった印象を持ったことも、スペイン音楽を聴きはじめた理由の一端かもしれない。
