タイトル「ドヴォルザークさん」について

 クラシック音楽界で、メロディメーカーとして「美しい音楽」を創作し続けた、私の”こころ”の作曲家三人を表題に掲げた。
「モーツァルト」、「ベートーヴェン」は万人が好む作曲家なので、私がわざわざ好きな作曲家だと言うのがいかにも素人っぽい。
では、「ドヴォルザーク」はどうか。いつも、日本人は「チャイコフスキー」と「ドヴォルザーク」が大好きだと書かれることが多い。
しかし、音楽誌のアンケートによる人気度からは圧倒的に「チャイコフスキー」が優位にある。

因みに、2011年度のクラシック専門誌「音楽の友」の読者の好きな作曲家ベストテンでは、1位が「ベートーヴェン」、2位が「モーツァルト」、
以下「ブラームス」「チャイコフスキー」・・・と続く。「ドヴォルザーク」は12位である。さらにその5年前、10年前でも「チャイコフスキー」
はずっと上位にあり、「ドヴォルザーク」は12位以下である。12位でも人気がある証しなので良いではないかとも云えるが・・・・・。   

三人は、私のなかでは特別な作曲家として常に音楽の中心に位置しており、その引力によりクラシック音楽が強く離れ難く永遠なものになっている。

その一人「ドヴォルザーク」は、一般的な見方で言えば、他の二人と横並びで居ることに違和感を持たれるかもしれない。
特に、アカデミズムの方々からは、“とんでもない”と目くじらを立ててお叱りを受けるかもしれない(が、素人のたわごとに一々反応をするほど暇
な人はいないでしょう)。

そんなこともあって(?)、私としては「ドヴォルザーク」が凄い作曲家であることを証明して行きたいとの衝動に駆られ、「ドヴォルザーク」への想いを熱く語って行くことを主眼に置き、ホームページのタイトルを決めた。

●タイトルの「ドヴォルザークさん」の「・・・・・さん」は、知人でなくても相手の人を「さん」付けで呼べるという都合の良い言葉だ実際に
 は「ドヴォルザーク」と書きたかったが、私ごときのものが「讃」とはおこがましく思う。
 私の三大作曲家から、三番目の「ドヴォルザーク」でもよく、はたまた「ドヴォルザークSUN」(太陽)でもよい。

 私からみて「ドヴォルザーク」は「太陽」のように暖かく心を包んでくれる存在である。
 また、ドヴォルザークがプラハ音楽院の教師のとき、生徒に「モーツァルト」とは何かと質問し、「モーツァルトは『太陽』である!」
 と教えた。有名なエピソードがある。
 さらに、評論家のミヒャエル・ホフマン氏が「ドヴォルザークの作品には、あの『太陽』の輝きがある。」と言ったとか。

 しかし、SUN(太陽)は、いろいろと「ドヴォルザーク」に関係しているとはいえ、漢字でない違和感がある。
 「燦」「餐」など、言葉遊びをやっているとキリがなく、あれこれの意味を含め、親しみを込めて「さん」とした。

(補足)
 なお、この「ホームページ」のタイトルを「ドヴォルザークさん」としたことで、他人が、ここに立ち寄って読んでもらえる可能性が殆どなくなった。
 もし、大勢の方に注目してもらうならば、「クラシック音楽とともに」、「クラシック音楽の仲間の部屋」とか、「クラシック音楽とドヴォルザーク」などの
 タイトルにすべきですが、「ホームページ立上げについて」の項でも述べたように、自分の「ボケ対策」が目的なので、他人を意識していません。
 とは言え、読んでもらえるかもしれないことを想定した記述になってしまっている。